新潟県立三条中学校・高等学校同窓会
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第1章第2章第3章第4章第5章第6章第7章第8章第9章
  時代関連図

第1章 創立の道程[明治34年〜明治45年]
明治34年12月1日、町村の大廃合が行われ、南蒲原郡は4町18ヶ村となり、同年一ノ木戸村が三条町に合併された。当時、三条町と一ノ木戸村の戸数は合わせて計2,681戸、人口は15,987人の町であり、昭和9年1月1日を以て市制施行された。


創立当時の風景

第一回卒業生


国の柱とそびえばや


5年計画と中学校増設 詳細を見る

国家の元気となる教育 詳細を見る

中学校争奪余話

南蒲原中学校分校位置の運動

分校設立と米北学寮の廃校

新潟中学校三条分校の発足 詳細を見る

寺子屋式の開校

三条の提灯行列

 

校歌の誕生

校歌をめぐる二つの疑問 詳細を見る

作詞者「平野秀吉先生」

「校歌」と良寛・万葉集

「積れ」か「来れ」か

尚身の上に積れかし

母校の校歌について 詳細を見る

 

校風を創る

創立5周年

第1回生の思い出

 
 

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第2章 不撓の鍛錬(大正1年〜大正15年)
時代のすう勢は大正元年12月には第一次護憲運動と大正デモクラシーが高まる。中国では清朝滅亡。2年2月、桂内閣総辞職、東北地方大凶作、米国カリフォルニアで排日運動高まる。3年7月、第一次大戦勃発、8月対独宣戦布告。5年7月、第4回日露協約。7年8月、シベリア出兵開始、富山で米騒動発生、第一次大戦終了。9年3月、尼港事件、国際連盟成立。10年11月、原敬首相暗殺。12年9月、関東大震災。13年、第二次護憲運動。14年4月、治安維持法公布。15年12月、大正天皇崩御、昭和と改元。まさに激動の時代であった。

五十嵐河畔大洪水
旅行工程


受け継がれた校風

親爺と来た寄宿舎

気鋭の教育

我向上の我 詳細を見る

流失・五十嵐河畔

湛水一週間の大洪水 詳細を見る

水面下7尺の校舎

琢磨の教育

草鞋ばきの大旅行 詳細を見る

長途を翔る修学旅行 詳細を見る

 
 

 

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第3章 凛々の伝統(昭和1年〜昭和11年)
大正11年5月1日創立20周年記念祝典を終えた三条中学は、その4年後に昭和の新時代を迎えた。金融恐慌から満州事変へと日本が暗転してゆくことを象徴するかのように、三中にも少しずつ戦争の影がさしてくるのである。

新しい時代の教育


暗転・粟ヶ岳の遭難

「粟ヶ岳遭難」忘れるな

新しい時代の教育

実業科の設置

独自の精神 詳細を見る

国体明徴と思想善導の施設

 

 
 

 

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第4章 炎々の勤労(昭和12年〜昭和20年)
昭和初期はわが国において幾つかの動乱が発生し、非常時と呼ばれた時代であったが、これが直接中等教育に大きな影響をもたらすものではなかった。戦中期はそれとは様相を著しく異にした。戦争が学校教育に学生生活に、学生自身の身の上に容赦なく押し寄せてきた時代であった。

県下中等学校練成大会 三中代表一同


混乱の時代へ

瀬群敦先生のこと 詳細を見る

学制の戦時化


変遷する三中教育


勤労作業の強化 詳細を見る

軍事教育の強化 詳細を見る

生徒数及び生徒の動向

勤労作業報告 詳細を見る

耐乏・繰上・出征

 
 

 

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第5章 燦光の出発(昭和21年〜昭和30年)
昭和20年8月15日天皇の終戦に関する詔勅により太平洋戦争は終止することになった。わが国は戦災と食糧難にあえいでいた時であり、さらに終戦により敵軍が日本占領のために押し寄せて残虐行為が開始されるという流言があり、社会は大混乱に陥った。軍隊は終戦により逐次解体、軍人は解員され帰郷を命ぜられた。また学徒勤労動員により軍需工場に勤めていた学徒も解員された。これらの帰郷措置を当時「復員」と称した。
 終戦直後のパニック状態を脱却した政府が、日本再建策の第一に数えていたことは教育の再開、教育の復興による次期世代の育成であった。

昭和天皇北越巡幸 三条中グラウンドにて


中学5年制の復活 詳細を見る

三中・併設・新制 詳細を見る

三高生の誕生 詳細を見る

学習の館・図書館

精鋭の女生徒 詳細を見る

 
 

 

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第6章 基礎の校舎(昭和31年〜昭和40年)
三条中学、三条高校が百年に渡って約28,000余名の卒業生を世に送り出した。その教育の場である校舎と運動場施設は、まさに百歳の齢を物語る。

木造校舎鉄筋校舎


齢百歳の校舎 詳細を見る

8代にわたる悲願 詳細を見る


こだまする槌音

校舎を大切にしよう 詳細を見る

新校舎の着工

念願の式典

子弟薫陶の生涯 詳細を見る

総合学習の特別教室

地元の情熱を結集


呼応する三高

60周年記念式典

学級増にともなう工事計画

グラウンドは同窓会

元気を持った三高生

現行の授業体制を再考せよ 詳細を見る

受け継がれた決意

創立70周年・定時制20周年

 
 

 

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第7章 修学の源泉(昭和26年〜平成14年)
戦後の新しい教育の特色の一つは教育の機会均等の精神を基本理念として、具体的にこれを制度化して推進したことにあった。
 昭和22年3月31日に公布され、翌23年4月に施行された学校教育法の第45条によって高等学校における通信教育が発足することになる。
 昭和22年8月20日文部省は定時制高等学校設置を表明した。三条市でも三条東高校、三条実業高校の2校に定時制課程が設置された。それから3年が過ぎた昭和26年、三条高校にも定時制の課程が設置されるはこびとなる。創立50周年を翌年にひかえた年であった。

定時制授業風景


定時制の課程設置


定時制教育の発足 詳細を見る

三条高校の定時制

苦心の「学校要覧」

歴史をつくる生徒

苦学の実態 詳細を見る

第1回の卒業式

交流する師弟

巣立ちの「おとな」たち 詳細を見る

三高同窓会定時制部会設立


「おはぎの会」座談会


三高定時制創立50周年によせて

いま定時制は……

 

 
 

 

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第8章 叡知の校庭(昭和41年〜平成4年)

栄光の全国制覇バスケットボール部栄光の全国制覇バスケットボール部歌碑


栄光の全国制覇(バスケットボール部)詳細を見る

ベビーブーム世代 詳細を見る

錬成のプール竣工

整えられた諸施設

校歌碑建立 詳細を見る


自由化の哲学

服装の自由化を求めて

一進一退の論議

きびしい選択


飛躍する学業

実践の教育課程

名門という名の三高 詳細を見る

創立80周年・定時制30周年

創立90周年・定時制40周年

 

 
 

 

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第9章 混々十年(平成4年〜平成14年)




90周年〜100周年まで


激動の10年

変貌する教育界

燦燦と輝け三高の未来

変わる高校教育 ―この10年の動き―

公立高校の学区制

学区の見直し・改定(1999年)

単位制高校

推薦入試制度

中高一貫教育

総合学科

三高:募集学級数と定員

高校教育の多様化すすむ この10年

進路指導の変遷

卒業生の進路状況の推移、国公立志向、女子の四大志向強まる

平成7年度 高まる国公立大学志向

【平成8年度

センター試験全国出願者数57万人、私大センター利用122大学と増加

【平成9年度】 

国公立大センター試験分離分割方式に統一へ

【平成10年度

センター出願状況 前年よりやや減少

59万7余人が出願、現役生志願率過去最高へ

長引く不況、高まる国公立志向

学習支援調査・テスト始まる

学習支援調査・テスト」の集計結果の概況

【平成11年度

10回目を迎えたセンター試験

少子化の影響か過去最低の受験率

「入りたい大学」へ伸びる進学率(66.9%)・達成率71.3%

【平成12年度

大きく響く長期の経済不況、激戦の入試傾向

【平成13年度

「国高私低」「理高文低」傾向強まる

【平成14年度】 

センター試験特別編成授業の充実へ

進学状況向上、達成率79.3%へ

週休2日制の実施、55分授業へ

センター試験5教科7科目への動き

学習支援アドバイザー導入と充実した自習室開設へ

学力アップを目指してフレッシュな情報キャッチ、模試試験そして集中学習指導の実施

校内指導体制の確立を目指して

 
  このページとリンクする関連記事は「百周年記念誌 創痕」 より
高木編集委員長の監修をいただいて抜粋いたしました。
 
 

 

 
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