新潟県立三条中学校・高等学校同窓会
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  三高同窓会下田支部だより(5年度源泉より)

下田支部長(高20回卒) 名古屋 利夫

 コロナ禍で3年が経過しましたが、コロナは日本でも色々な問題や課題を浮き彫リにしました。
感染による差別や格差社会、人権侵害など、感染を恐れるあまり根拠のない風評被害が飛び交う等、 弱い人へのしわ寄せが拡がる状況になりました。3年間のマスク生活が私たちに何を示唆しているのでしょうか。 7万2千人の死者を出しているコロナを完全に封じ込めるのは困難なことと思います。 そんな中でも政府は感染症の2号から5号に扱いを変更するとしていますが、科学的な根拠に乏しいと感じます。 アフターコロナの日本はどこへ向かうのか、ウイズコロナの道につながるのか? 不安とともにコロナに負けたくない思いが交錯して、複雑な気分の中にいるのは私だけでしょうか。
 さて、下田支部も、この間は所謂通常の総会はやれておりません。役員会で議案を確認し、 評議員会での審議をいただき、総会の代替えとしてきました。会員の皆さんと集い顔を合わせて近況を語り 合うこともできず残念な思いでおりました。そういう状況の中で、令和5年度は何としても、 これまでの総会の形に戻して開催したいと考えております。3年ぶりに会員のみなさんの顔と顔を合わせて ワイワイと交流できるようにしたいと願っています。また、支部の役員体制の若返りを進めて行きたいと思い、 役員会で検討しているところです。
 昨年は、三条高等学校創立120周年記念事業が行われ、小生も式典に参加をさせていただきました。 その中で、後輩の生徒たちの受付や会場案内など、丁寧に対応してくれている姿をみて、 嬉しくて頼もしく感じました。また、式典での生徒代表の挨拶も素晴らしい内容で、 演壇での態度も立派なものでした。母校の120周年のあゆみをつなぎ、誇り高く前進し続けるよう 共に歩いて行きたいものです。

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三高同窓会下田支部だより(3年度源泉より)

副支部長(高49回卒) 石月 豊

三条高校での思い出

 令和三年度より、副支部長の任につきました。
何分にも力不足で諸先輩方の足元にも及ばない私ですが、ご指導のほどよろしくお願い致します。
 支部総会も二年連続で中止となり、令和四年度もどうなるかわからない状況となっております。
年に一度先輩方と顔を合わせ、色々なお話を聞ける貴重な機会でしたので、また皆様方と笑顔でお会いできることを楽しみにしておりますので、開催された暁には多くの方々のご参加をお待ちしております。
 三条高校での思い出はサッカー部で過ごした日々が色濃く残っております。
特にフィジカルトレーニングとして、昭栄大橋の袂からダッシュで駆け上がる練習は今でもたまに夢に出てくるくらい印象深いです。
消雪設備が素晴らしく、野外でサッカーができない冬の時期でも走ることができ、その素晴らしい設備を当時は恨んでもいました。現在ではサッカーをする機会もなくなり、テレビでのサッカー観戦が主になっておりますが、昭栄大橋を通る度に高校時代のことを思い出します。

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三高同窓会下田支部だより(3年度源泉より)

支部長 名古屋 利夫

大橋昭五先輩の「漢詩と短歌」の 作品集の発刊に寄せて

 大橋さんは下田支部では最古参の会員として、これまで当支部の「牽引車」となって私たち の指導的な立場で活動されてきました。
実に小生が生まれた昭和24年に彼は三条高校を卒業されており、正に私にとっては今年齢 90 歳となられた大橋さんは親と言っても過言ではない位の大先輩なのです。
その彼が70歳代半ばから漢詩作りを始められ、この度、その集大成として作品集を発刊されたことをお祝い申し上げたいと思います。

 私はこれまで「漢詩」というものを見たことはあってもじっくりと読んだのは今回が初めてでした。
そ んな素人の私が読んで思ったのは、 大橋さんがこれまでの経験や暮らしの中でどんな事を感じてこられたのか、どんな事に興 味をお持ちであったのかを本文を読む中で見て取れるような気がしました。

 人は色々な経験をし、体験をし、色々な物を見聞きして自分の人生を形作っていくのだろうと、 そして、その色々な事物、出会った人や 出来事が、またその人となりに大きく影響を与えていくのだろうと思いました。

 そんなことをこの作品集は思い起こさせてくれました。私にとっては非常に興味深い出会 いでした。やはり新しく何かに触れるというこ とは、気付かなかった自分との出会いにもなるのだろうと思いました。

 作品集の中で私のお気に入りの漢詩は本文 P15 の「諸橋轍次博士の墓に謁す」の詩です。
諸橋先生の「行くに径に由らず」の一節が入って います。人生は小道を通らずに大道を行く。
常に正道によって行動すること、と解説がされ ています。私もそんな生き方が出来ればと思います。
 大橋先輩には今後もお元気で我々のご指導のほどよろしくお願いいたします。

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三高同窓会下田支部だより(2年度源泉より)

副支部長 川沼 正憲

 令和になって初めての三高同窓会下田支部総会は、令和元年六月二十二日、荻堀「山水」にて開催されました。野水同窓会長をはじめ来賓の方々も含めて二十五人の参加でした。

どこの支部でも言われていることかと思いますが、参加者がいつもの顔ぶれになっていたり、若手の参加が少なかったりしている傾向があります。令和の時代になって、人や物、情報の流れに変化があるなか、同窓会の形も変えていかなければならないと四十代なりに考えています。それは単に、無くしてしまえばいいのではなく、どんな同窓会になるとよいのか一緒に考えていきたいと。

 例えば、同級会という単位で集うこともありです。私事ですが、年末に三条某焼肉店に三高同級会のごとく二十人ほど集まって飲んで食べてワイワイと。同年齢です。仕事上の悩みも似たものがあったり、健康状態に差があって愕然としたり、そして時には淡い青春時代の話に花が咲き、まずもって時間があっという間に楽しい!笑顔いっぱいです。同窓会もそんな時間を過ごせる会になるのでは。

 実は下田支部の懇親会でも、三高と下田を共通項とした話題が中心になって、若手にとっては生まれる前からの三高と下田の歴史に思い馳せる時間になるのです。先輩方は、後輩達の活躍に目を細めて喜んでくれています。年代の違う支部総会は、地域で活躍する三高生の情報交換になっているのです。面倒な側面だけでなく、こんなメリットがたくさんあるということを地道に広げていくことが大事だと感じています。

 わが子が今年度卒業を迎え、同じ同窓生になります。学生時代に参加はできなくとも、就職のあと社会人として肩を並べ、そのわが子と一緒に集い、「国の柱とそびえばや」と歌える下田支部になっていくよう微力ながら努めていきます。

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平成30年度下田支部総会開催(31年度源泉より)

下田支部長 名古屋 利夫

 昨年の6月23日( 土) に鹿峠地内の「甚七」を会場にして支部総会を開催致しました。

 総会参加者は24人でした。例年若い人の参加が少ない事が大きなテーマになっ ていましたが、今回は若い人が同年代の友人を誘っての参加もあり、若い人の参加が構成比率で33%となりました。
お陰で若いメンバーとの交流も出来、活気のある総会となりました。

 また、今回は本部より御配慮いただきました「下田支部旗」の御披露目の場ともなり、大いに盛りあがりました。
 今後も、徐々に若い世代の人が参加してくれて、その仲間を連れて参加していただくスタイルができていけばと期待しています。

 来賓として、本部の高木資料委員長、母校の石和田教頭先生、三条支部の野崎支部長、東京より中野潔さん( 高岡出身)をお迎えし初参加の会員もあり、思い出話が尽きない中で校歌を斉唱し散会となりました。

 支部総会は、親しい人を一人でも増やす出合いの機会でもあります。さらに参加者が広がって楽しさが繋がっていくよう願っております。

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「バレーボールと三高時代」(30年度源泉より)

下田支部長 名古屋 利夫

土田正作前支部長よりバトンを受け、昨年の総会で支部長の任につきました。

何分にも力不足で前支部長の足元にも及ばない私ですが、ご指導のほど宜しくお願いいた
します。

三条高校の思い出はバレー部の3年間、監督の大原先生(特攻さん)に理屈のバレーをご指導いただき、怖い先輩方に根性のバレーを叩き込まれて楽しく?過ごした日々です。入部のきっかけは中学時代からのバレー部の先輩の清水徹さんの誘いがあったからです。お陰様で高1年で全日本6人制大会に県代表で参加する事ができ、今でもいい経験をさせていただいたと思っております。お陰様で今、下田バレーボール協会の会長をさせていただき、年4回の大会を主催しています。ボランティアで協力してくれる若者たちのおかげで、今だにバレー人生を楽しんでいられます。バレーボールに感謝しています。

下田支部も御多分に漏れず組織的な課題を抱えております。総会に若い人や女性の参加が少ない状況が続いており、世代間の交流が今一つの感があります。年代各層が気軽に参加して親しく交流出来るような支部を目指していきたいと思います。母校の伝統を繋いでいく、新しい支部の活動スタイルを工夫したり、少しでも多くの会員の顔が見えてくるような形を模索しております。

これまで、連綿と続いてきた先輩方のご努力をしっかりと繋いでいく事が今の私たちに課せられた役目であろうと考えております。とにかく明るく楽しい支部活動を進めていきたい。楽しい場所には人が集まって来ることを信じて、下田支部の発展の道を探っていきたいと思います。ご指導のほど宜しくお願いいたします。

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「平成28年度下田支部活動報告」(29年度源泉より)

下田支部長(高14回卒) 土田 正作

昨年の6月25日 (土) に、荻堀地内の割烹旅館「山水」にて支部稔会を開催致しました。

総会出席者は27人を数え、近年にない大勢の皆様に参加して頂きました。
来賓として、本部から高木資料委員長、母校は石和田教頭先生、三条支部の野崎支部長、東京より中野潔さん (下田地区高岡出身)をお迎えしました。中野さんは日帰りでの参加です。故郷のアットホームな空気に触れて頂けたなら幸いです。また、この度は、初参加の方、数年ぶりの方々、若い方々の参加があり、幹事にとって大きな喜びです。総会後の懇親会では、テーブルを囲み、皆さん、終始楽しい雰囲気で痛飲、学生時代を思い出されるのか、話が尽きない様子でした。最後は、散会を惜しむかのように、校歌を斉唱して閉会となりました。
今年度(29年) の支部総会は、6月24日(土)嵐渓荘にて開催の予定です。多数のご参加をお待ちしております。
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「平成27年度下田支部活動報告」(28年度源泉より)

下田支部長(高14回卒) 土田 正作

昨年の9月19日(土)に、3回目の坐禅会を催した。今回は場所を変え、湯田上温泉地内にある禅堂東龍寺に参禅した。初秋の爽やかな気候の中、会員始め家族、友人の総勢19名の方々に参加いただいた。

東龍寺は、周囲に竹林や多くの樹木を配し、静寂さを湛えた荘厳な佇まいである。宗派は曹洞宗で、本山は永平寺と総持寺(横浜市鶴見区)である。山号を安國山と称する。(山号−寺院の名の上に付ける称号。昔は多くの寺院が山に在り、所在地を示すために付けられた。)開基は田上の千町歩地主・田巻七郎兵衛家。(開基−寺院開設に金銭、土地等寄進した人。)

住職は渡邊宣昭師。出身校は新潟高校・横浜国大(理工−数学科)。本山永平寺の布教部長という要職にある。日常は本山に在勤し、寺の諸行事に帰るという多忙な毎日を送っている。そのような中、月例坐禅会の開催(第2土曜日午後7時半から。誰でも参加できる)、寺報「龍声」の発行、加茂法話会主催などを通じて布教に努めている。

東龍寺の沿革
・弘仁5年 (814)、真言宗の寺として開創。
・正慶元年(1332)、臨済宗に改宗。
・文安5年 (1448)、曹洞宗に改宗。
(前述の山号、開基は曹洞宗に改宗後のもの。)
・安永年間(1770年頃)に現本堂を再建。
・現住職の宣昭師は23代目で、昭和59年に晋山(住職に就任)。
・平成12年、「照光殿(1階大広間、2階坐禅堂)」が完工。落慶法要には曹洞宗の管長・宮崎奕保(えきほ)禅師が臨席。

坐禅開始にあたって、素足で2階の坐禅堂へ向かう。途中で坐蒲を持ち、入口左側から左足で人堂。初めに作法を分かり易く教えていただいてから、休憩を挟んで30分の坐禅を2回。その間、ご住職から『正法眼蔵』現成公案の巻の話を拝聴する。

坐禅が終わり、拝礼ののち右側右足から退堂。大広間に戻ると精進料理が用意されていた。食前にご住職から食事作法の教えを受ける。食事の後、ご住職を中心に懇談の輪が広がり、和やかな楽しい時を過ごさせていただいた。皆さん、日常の風俗を忘れ、少しは禅境に触れることが出来たのではなかろうか。

---------------------------------- 「坐禅と精進料理の会」(26年度源泉より)

支部長(高第14回卒) 土田 正作

下田支部の行事として標記の行を開催しましたので、概要をお知らせいたします。

1.開催日平成35年9月7日(土)
参加者は家族を含めて12名で、渡辺同窓会長も参加された。
今年度も開催する。会報「嵐渓」に実施要綱を掲載し参加を呼びかける。

2.会場 五泉市 慈光寺
慈光寺は曹洞宗の名利、江戸末期まで越後四か道場の一つ。約150メートルの参道は、樹齢四・五百年の杉が鬱蒼として茂り、県の文化財に指定されている。

3.内容と参加費
住職の佐藤信雄老師の法話、座禅、精進料理の会食、般若心経の写経
参加費は四千円

4.坐禅
坐禅堂で住職の指導により、約50分間の坐禅を体験。初めての人が多かったが、座禅の基本を修得することが出来たようだ。

5.精進料理の献立
@ お粥 胡麻塩
A 平ら 高野豆腐、南瓜、干し椎茸、人参、隠元 平ら(ひら)とは浅く平たい皿に盛った料理
B 膳皿 蓮根のつくね揚げ(蓮根・干し椎茸・人参) 舞茸と獅子唐の天ぷら、抹茶塩
C 坪  胡麻豆腐、敷味噌、生姜 坪とは深い蓋のある漆器に盛った料理
D 小皿 幸子和え(ほうれん草 かきのもと 黄菊)
E 吸い物 庄内麩、冬瓜、三つ葉
F 香の物浅漬け(白菜 胡瓜 しその実) 茗荷の酢漬け
G 果物 いちぢくの甘露煮

今年は9月7日(日)に開催。申し込みは土田支部長へ電請(0256−3885)
他支部の方もご遠慮なくご参加ください。

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「平成24年度支部総会」

支部長(高第14回卒) 土田 正作

昨年の支部総会に於いて、支部長の大役を仰せつかりました。宜しくお願いいたします。

サラリーマン人生の大半を関西以西で過ごし、平成16年、7.13水害の2週間前、6月末に37年ぶりに帰郷しました。
この水害では、引っ越し荷物もまだ片付いていない我が家は床下浸水で済みましたが、下流域で大勢の犠牲が出た大惨事を、終生忘れることができません。

大阪時代には、関西支部総会に数回出席させていただきました。三条から見れば遠くに感じられる大阪で、同窓の皆さんと交流が叶い、親近感と打ち解けた雰囲気によって、いっとき仕事を忘れて気持ちがリフレッシユできたことを思い出します。当時、遥々お越しの中條同窓会長、熊倉副会長からふるさとの様子を聞くのが楽しみでした。関西支部の皆さん、大変お世話になりました。

下田支部へは平成20年から参加し、ここ3年ほどは、支部会報「嵐渓」の編集の一員に加えてもらっています。会報は年1回の発行ですが、これからも、母校や支部の様子を発信して行きたいと思っています。

昨年6月23日(土)に開催された支部総会は、渡邊同窓会長並びに平澤学校長をお迎えし、総勢26名にて盛大かつ和やかに行われました。席上、石月前支部長から「総会出席者の増加を図るように」という宿題を引き継ぎました。現在、下田支部の同窓生は名簿上では420名余ですが、下田を離れている会員が多く、実際の在往者は250名ほどと推定されます。地区役員に協力を仰いで実体数を把握したいと考えています。支部総会には、大先輩から若い同窓生まで幅広い年代に気軽に集っていただき、楽しく交流できる同窓会となるよう取り組んで行く所存です。

今年の支部総会は6月23日(毎年、6月第4土曜日に開催)の予定です。多くの方々のご参加をお待ちしております。
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「平成23年度支部総会」

「この一年」
下田支部長 石月 孝志

今冬の下田郷は雪で埋まりそうだった。昨年も多かったが今年の方がはるかに多い。Uターンしてから16年目で最も多い。屋根の雪下ろしも2回実施。年には勝てず腰、ひじ、首とあちこち痛くて参った。克雪、利雪、エネルギー転換など一つでも多くの実用化を期待したい。

ある学者はすでに地球は氷河期に入っていると言うし、またある学者は温暖化による異常気象の勢だと言う。地震予知もそうだが確率が70%だ、いや30%と一体何か正しいのか良く分からん。いい加減に素人でも分かるように説明して欲しいものだ。

昨年の支部総会は例年通り6月の第4土曜日に、秘湯で有名な下田の奥座敷嵐渓荘でフルート演奏を堪能しながら聞かせていただいた。

演奏は幹事の計らいで、音大卒でフルート講師として活躍中の名古屋愉加さん。日本の歌のもみじから始まり四季の歌、荒城の月そして懐かしのアニメ曲、リングの狙い撃ちと元気一杯に演奏していただいた。

来賓の吉田保夫教頭先生より生徒達の現況、竹井満喜子副部長より燕の磨き屋マグカップのPR、刈屋哲理事の乾杯と何れもユニークな挨拶を戴いた。また、下田生まれの鈴木守男現三条支部長にも出席戴き高校時代の思い出を語ってもらった。

校歌斉唱では川越在住の宿泊女性の方が突然「母校の三条高校ですか!懐かしい」と部屋に顔を出され一同拍手で迎えると言うハプニングもあった。

実は総会開催一ケ月後の7月29日に下田部一体は集中豪雨に襲われ、上流の嵐渓荘ではつり橋は流される、床上浸水と大変な被害を蒙った。また中、下流では堤防が決壊し同窓生で被害を蒙られた方も多くいた。

11月19日、洪水被害から漸く復旧した「いい湯らてい」で有志が集まり親睦会を開催。今後も豪雪、大洪水、大地震等々の異変が予想される、が、「柏崎原発の人災事故だけは絶対防がねばならない」と。また、支部活性化の為に行ったアンケートのまとめについて意見交換した。その中で、今年の総会に下田支部会報「嵐渓十五号」を特集号として発行する。そしてささやかながらも記念のお祝をし、下田支部が一層発展する事に尽力する事を誓い合った。

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「平成22年度支部総会」

高第13回卒  事務局長 今 井 紘 一
 
下田支部では二年前から役員、会員一体となって会計収支の改善に取り組んできました。その内容を簡単に述べさせて戴くと共に、皆さんのご意見を戴ければと考えております。

尚、支部会報「嵐渓」14四号のPRもさせて頂きます。

一、支部会計の収支改善について
 本部から交付される支部活動援助金を、支部会報「嵐渓」の印刷代、総会案内の郵送費などに充当していたが、毎年赤字で会員有志の寄付で凌いできた。

「嵐渓」の発行を隔年にという意見もあったが、平成二十一年度から、次のように、収入の増加と支出の削減を行い「嵐渓」を毎年発行する事とした。

(一)収入増加
 A寄付金の募集  一口千円で何口でも良い実績は次の通り。
 ・平成21年度 50名
 ・平成22年度 45名
 B「嵐渓」に広告を掲載 広告料は五千円で実績は次の通り。
 ・平成21年度4社、22年度5社

(二)支出の削減
 A名簿を整理し(転出者の削減など)、総会案内の無駄な発送先を減らす。
 B同一の家族に複数の会員がいる場合、一枚の封筒でまとめて送付する。
 C総会の出欠の回答を三年以上出さない会員には案内を送付しない。
 D発送依頼を郵便局から、料金の安い宅配便に変更する。

二、会報「嵐渓」の第14号の発行
 5月下旬に発行する。1月下旬の編集会議で決定した主な内容はつぎの通りである。

 @石月支部長「挨拶」A渡邊同窓会会長「大浦小学校工程の大銀杏移植の思い出」B小島校長先生「良寛と三条、私の好きな良寛の詩歌など」Cインタビュー「下田出身の経営者二名」D日常生活でのアンケート4名E市外県外在住者2〜3名に寄稿依頼「現況と三高及び下田の思い出」。

「嵐渓」をご覧になりたい方は、ファックスで「嵐渓」編集室長の土田正作までご連絡下さい。
(Fax 0256−46−3885)

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「粟ケ岳遭難碑の経緯」(平成22年度源泉より

高第12回卒  支部長  石月 孝志   
         
五月、下田郷から登る栗ケ岳は薬師堂付近のブナ林、稜線に出れば小又渓の展望、斜面には淡いピンクのイワウチワの群生が、更に登るとショウジョウバカマ、マンサクそしてギフ蝶もヒラリヒラリと、時には対崖にカモシカも!更に登ると雪渓が広がり、そして頂上には三百六十度の展望が開ける約四時間、変化に富んだ楽しめる山である。

薬師堂を過ぎ稜線に出てイワウチワも少なくなった辺り、左側は崖で右側が雑木、その一角にある小さな石碑が大先輩蝶名林隆二氏の遭難碑である。この碑は・・・昭和6年(1931)3月2日卒業式の翌日、`手塚校長、先生方五人で粟ケ岳スキー踏破に出発、途中から昨日卒業したばかりの蝶名林隆二氏が「是非お供させて下さい」と加わり、正午には頂上へ、昼食をとろうとや天候が急変急いで下山するが大風雪で道に迷い崖から落ちて遭難、案内格の蝶名林氏一人が亡くなった・・・手塚校長が、故人の死を悼み霊を慰めるべく小又渓を見渡せる場所に建てられたものである(一代目)。

その後、四十数年を経て遭難碑も傷みが酷くなり同窓会、下田山岳会の方々が山の厳しさを登山者に知って貰おうと昭和54年(1979年)10月、白御影の遭難碑に建てかえている(二代目)。

二、三年前、山歩きをされている大先輩から遺難破の基礎が傷み碑が傾いているので修理が必要との話が下田支部にもあり、支部で現地の状況、見積り、資料、前回建立に関係された団体の現況等々調査する。三役、役員とも話し合った結果、費用も大変、当時の団体クラブも今は実態がないそして遺族への配慮も考え、「静かに直そう」と云うことになる。現地冬場の気象条件は極めて厳しいと思われ、若槻石材梶A高校同期乙組の山仲間のアドバイス及びご協力を得て亜鉛メッキLボで石碑をガードする方法をとり昨年5月3日に無事修理する。

手塚先生の遭難記によれば「最も若く、スキーも上手く、下田育ちで粟ケ岳の地理にも精通した案内格の蝶名称君ただ一人が命を落とした---5年間の蛍雪の功を積んで卒業証書を手にした喜び、長い寄宿舎生活から開放され自宅に帰ってぐっすり眠り、支度を整える問も無く素足で飛び出したものと察せられる」と。

人生には上り坂も下り坂もある。そしてマサカもある---山のみならず我々も人生への貴重な戒めと胸に留めておきたい。粟ケ岳は楽しめる山である。特に若い方にお勧めしたい。そして大先輩の遭離碑に手を合せて頂けたらと思っている。

なお、本部より資金援助のお話等気遣いを戴きましたこと、また修理にご協力下さった若槻石材且ミ長、乙組の山仲間本間修氏、古川利三氏他に対して厚くお礼申し上げる。

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「今年度のテーマ」(21年度源泉より)
高第12回卒  支部長 石 月 孝 志

昨年の七月より支部長を引き継ぎました石月です。私は平成八年(1996)に、家庭の事情で埼玉県よりUターンし実家に戻り古民家を再生―――第二の人生を送っております。

現在、下田支部の悩みは総会等への出席者が年々少なくなっている事です。特に若者、女性が顕著です―――原因?、対策!、魅力創りは!、等々の意見がある中で今年度の課題を会員名簿の整理と収支改善に集中しました。

まず、会員数ですが名簿上は四百余名になっています、が、総会案内の返信数会員及び役員からの情報では会員実数は半分位ではないかと推定されます。そこで、地区役員の方々にお骨折り頂いて転出入新卒他会員情報を集めて頂く事に致しました。まだ、集計途中ですが転出入者が増えている事、最近の卒業生は殆ど女性である事、身近に同窓生がいる事、等々、今後の下田支部運営に参考にすべきことが多く分かっています。

次に、収支改善ですが現在収入は本部からの援助金が殆どです。その為昨年は会報「嵐渓」発行に際して編集委員の方々に大変なご苦労をお掛けしました。この事を深く反省し、今年より本部方式に習って支部便りの中に会報「嵐渓」と振込み用紙(一口千円以上)を同封し、下田支部会員全員の皆様方に毎年運営資金のご協力をお願いすることを決めさせて頂きました。

地元同窓生の有志が「年に一回いっぱいのもう」と始まった下田支部も幾多の困難を乗り越え、今年で五十余年の歴史を刻みます。また、各地で好評の会報「嵐渓」も今年で十二号(年に一回発行)になります。
「いっぱい飲もう」自然で含蓄のあるこの言葉を宝にし、会員相互の絆を更に深め、次のステップへ進みたいと考えております。

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「三条高校同窓会下田支部新役員のご紹介」

石月 孝志

昨年七月の役員改選で支部長を引継ぎました石月です。副会長に小柳さんと渡辺さんも同時に選任されました。三者三様、互いに持ち昧を活かし、元気な下田支部を目標に努力したいと考えております。

前任者の佐藤支部長、高野、石澤両副会長におかれましては長年に渡り支部発展に尽力されましたことに深く敬意を表します。

早いもので引き継いでから十ケ月になります。本年度の支部活動状況を簡単に申しあげます。

先ず、よりスムーズに会を運営する為に、事務局長を小柳副会長におねがいし、また、必要に応じて文書、会計、編集などの担当を役員の方々にお願いしました。

収入面についてですが、現在本部からの援助五万円が殆どで、会報発行にも四苦八苦です。そこで、本部に倣いまして、支部便りの中に振込み用紙(一口千円以上)を同封し下田支部会員全員(名簿を整理した結果的三百名)の皆様方に運営資金のご協力をお願いすることを決めさせて戴きました。

次年度については事業テーマの見直しを予定しております。本部、各支部及び他の情報を収集し、元気づくりの一助にしたいと考えています。
 
年も総会は7月の第1土曜日です。下田支部も「いっぱい飲もう」から始まって今年で五十余年になります。下田郷には約30人に1人の割合で卒業生が在住、近年の卒業生の殆んどは女性です。是非、互いに誘い合って出席し、本部来賓との交流、下田地区在往者同士の思い出話等々に花を咲かせて戴きたいと思っております。

今年の冬、島潟地区の五十嵐川の広々とした浅瀬に白鳥が十数羽ユッタリと羽を休めていました。廻りの景観と白い固まりがうまく調和し、久々に「故郷」を感じました。昨年堤防用として土砂を大量に運び出した場所です。居心地のよい所が分かるんですね。

支部長 石月 孝志
職 歴 芝浦工大卒、大日本塗料(株)を平成14年退職、平成8年Uターンし実家を再生、平成13年に保ーむぎゃら里ー「瑞門」
    開く
趣 昧 ハイキング、水彩画を少々

副支部長 小柳 幸男
職 歴  三条市役所に勤務、平成17年3月退職
趣 味  ウォーキング
その他  飯田小学校後援会長
 
副支部長 渡辺 裕之
職 歴  平成十一年より下田郷にて漆工房を開設、漆の作品の制作を始め、現在に至る
趣 味 ドライブ
その他 三条美術協会理事長

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「平成20年度下田支部総会」

「嵐渓荘で7月5日に開催

年に一度、懐かしい同窓生に会うことのできる三高同窓会下田支部の総会は荒木校長・竹井同窓会副会長をお迎えして、盛大に開催されました。

おいしい料理と楽しいお酒。夢中になって話し続ける二十名の同窓生。

先輩、後輩一人一人さまざまな生き方で時を過ごしてきたでしょうが、宴たけなわの別れの前に、歌う校歌は同窓生を青春の輝きにタイムスリップさせました。

三高同窓会下田支部の五十全年の歴史を感じながら、初夏のひと時を「腹いっぱい、胸いっぱい」で過ごすことができました。     (渡辺裕之)

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「平成19年度支部総会」

「三条高等学校同窓会下田支部総会に寄せて」
高46回卒  会計 佐藤  優

去る平成19年7月7日、三条高等学校同窓会下田支部総会が風雅亭「山水」に於いて、午後6時より鈴木毅同窓会副本部長はじめ31名の出席を戴き開催され、平成18年度事業報告・決算報告および平成19年度事業計画・予算案について承認されました。

下田支部では、三条高校同窓会下田支部会報「嵐渓」を年一回発行しており、今回で第十号の歴史を刻んでおります。予算の厳しい祈、嵐渓編集委員より経費節減に努めて頂き、多くの同窓生に情報発信できていることは、下田支部の誇りでもあります。総会終了後の懇親会では、友と酒を酌み交わし楽しい時間だけが流れ、声高らかに校歌を斉唱し懇親会を終えました。
 
年々、総会参加者が減り、若い世代の参加も少ないことから、世代を超えた同窓生が気軽に集えるような取り組みも、今後検討したいと考えております。次回は、写真に入りきらない程の参加者に期待して・・・

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「平成18年度支部総会」

「三条高等学校同窓会下田支部総会に寄せて」
高第1回卒  大橋昭五

平成元年の支部総会で、同窓会本部の「源泉」のように支部でも会報を発行してほしいという意見があり、翌10年に下田支部の会報「嵐渓」が創刊され、今年は代10号が6月1日付で発行されました。

編集業務には全くの素人が担当しているので、レィアウト・文章・写真などいずれも泥臭い感がしていることは承知していますが、発行することに意義ありと思っております。収支状況の逼迫のため、休刊を考えたこともありましたが、寄附や諸経費の節約により、今年は10号を発刊する運びとなりました。

サイズはA4版、頁数は8頁の年もありましたが、資金的に余裕がないため、最近は4頁で発行部数は約300部です。

次に、ご参考までに、1号から9号までの記事の中から一部を紹介します。

・梨本前会長の発刊についての祝辞
・中條現会長の母校の現況など
・三高校長の下田にまつわる随筆
・旧制中学校時代の各種の写真
・各界で活躍した下田出身の同窓生
・下田在住同窓生の経営する事業所
・会員の随筆や趣味
・会員の日常生活に関するアンケート
・物故者への追悼文
・下田・三高に関連ある図書の紹介

第5号では、中島欣也氏(昭和15年旧制三条中学卒、元新潟日報常務)の著書「明治の熱血教師伝・恒文社発行」を紹介しました。この本は旧制三条中学校で名校長の名声を博した坂牧善辰校長の伝記です。紹介と同時に購入の斡旋を行ったところ、約20名の申し込みがあり、著者の中島氏にも喜んで頂きました。

他の支部でも会報を発行されれば、交換させていただき、下田支部の支部活動や会報編集の参考にしたいと思います。他の支部でも発行されることを切望しております。
 
 

 

 
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